高校を卒業後に宮城県の田舎から仙台へ出てきた私は、趣味の楽器でバンドを組み日々練習に励むバンドウーマンでした。
バンド以外にやりたい事もなく、生活の殆どはバンドと引っ越して間もなく見付けたドラッグストアのバイトでした。
週5日の10時から17時まで働き、月15万程のバイトをしながら充実した毎日を送っていました。
それが2年を過ぎた8月の誕生日、毎週地元にいる母とは電話をしたりお金に余裕があれば毎週会いたい程に仲良しで誕生日の日にも連絡をくれたのです。
私にはフィリピン人の母がいました、父は市場で働き生活は共働きでしたが決して裕福とは言えませんでした。
両親は私が産まれる前までスナックを経営しそれなりに繁盛はしていたのですが、私を出産後に閉店。
父の地元により近い場所に家を建てる為に引っ越したのです。
しかし当時父が働いていた会社は倒産し、建てたばかりの家の返済が難しく借金をしそれに追われる日々に。
ついに役所から通告を受けて家を競売にかけ追い出され、私達は狭いアパートで暮らしはじめました。
それから母も市場で働いていましたが、外国人と言うだけでいじめを受けていたそうです。
私は高校を卒業後、地元に残るか悩みましたが私の人生だからと送り出してくれました。
私はそんな両親に感謝しなかったのです。
毎週話す毎に母の様子が酷くなり、その日は思い立って仕事を辞めてみては?と提案しました。
しかし次の職があるか分からず、その時に昔やっていたスナックをまた始めてみてはどうかと思ったのです。
しかし店を出すにも居抜きされた店舗を借りる資金や酒代など、様々必要で計50万は最低必要だと分かりました。
父は借金を負った際にブラックになってしまい借りる事が出来なかったので、二十歳を越えた私は自らの希望もあり消費者金融から借りる事にしました。
単なるアルバイトがいくらまで借りられるかは分かりませんでしたが、次の日に大手であるアイフルの自動契約機へ行ってみたのです。
用紙に記入をし身分証を提示した後にバイト先への在籍確認がされ、この時に少しだけ怖くなってきましたが母の為にやれる事をしようと決して止める事はしませんでした。
審査を待つ間も長く、正直もう駄目だと思っていました。
しかし結果は、アイフル100万を希望し50万の限度額で借りれる事に!
年利息は18%でした。
借りられた事が何よりも嬉しく、すぐに母に連絡をしました。
母はびっくりとし、怒りよりも泣いてしまっていましたが私は大好きな母に何か出来る事があって嬉しくて仕方なかったのです。
友達には相談はしませんでした、ただ借金をした翌日にバイト先の先輩に男性から連絡があったからと1日聞かれたのは唯一困った程でした。
その後毎月13000円程の借金を返済し、途中生活苦で借り入れをしてしまいましたが無事に5年で返済が完了しました。
母は意地悪な市場をやめてスナックを亡くなるまで経営する事が出来ました。
振りかえれば、若さや勢いで借りてしまった借金かもしれません。
実際に私はバイト先にもバレた可能性があります。
ですが誰か大切な人がそれで何かを得られるなら、私は後悔はありません。